濱谷 浩 1915-1999


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001 2012/08/18(土) 13:07:48 ID:RjuapDb8.A
24歳の時(1939)、和辻哲郎「風土—人間的考察」を読み感銘を受ける。
この年、新潟県高田市(現在の上越市)を訪問している。
翌年から本格的に雪国の習俗を記録し始めた。
これが戦後まで続くライフワークとなった。

1941年、東方社に参加し、戦時対外プロパガンダ写真誌「FRONT」に
従事するも疑問を持ち退社。

戦後1954年から3ヵ年にわたり、日本海側の常民の生活と風土を撮った。
「裏日本」という連作である。
1955年6月、富山県にてアワラ(湧き水のある田)の田植えを取材。
発表した写真は話題となり、
富山県議会での土地改良への補助金支給決定につながった。

(ことば)
「ワラ屑をからだに捲きつけ、ボロをまとって、泥沼に胸まで没して
植えつけていた。男は寒気に堪えず、主として女の仕事になっている。
そこには歴史の進行も、文化の蓄積もない、あるのは、過酷な労働に
耐えて、田植えをつづける女の顔だった」(「裏日本」新潮社 1957)

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010 2012/09/03(月) 10:18:59 ID:HUkjG66pX2
>>6で横尾忠則が「内なる現実」を社会的現実と対比して言っているのも
一応は良さそうに見えるが、我われを常時浸している社会的現実から、
もし眼を背けるとすると「内なる現実」なるものもたいしたことはない、
単なる虚妄にすぎなくなってしまう。

岡本太郎は社会に対して発言していた。
凡百の写真の構図がなってないことを写真の表現意図を踏まえたうえで説いていた。

横尾の画は虚妄に陥り陰惨である。到底、岡本太郎を云々する器じゃない。

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011 2012/09/05(水) 15:25:49 ID:eLaWfEkglI
横尾の画には、岡本太郎の唱える構図も無いし
社会的現実としてはマスメディアの後追いしかない。
「内なる現実」として共感を呼ぶものもない。

浮世絵版画の手法を受け継ぐものとして認められたいのだろうが
それこそ二番煎じ。「制度化された」売りもの。
「芸術」もどきでしかない。

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012 2012/09/05(水) 22:28:42 ID:4YVbAjYeNw
横尾忠則って、嫌いじゃないけど、>>6を読んでると、
みずからの芸術家としてのありようを、正当化するためだけに、
岡本太郎を、引用しているように、読めちゃうんだよね。

でも、濱谷なにがしが、岡本太郎を批判せんがために、ながながと批評論もどきを、
かたっているけど、これと比べちゃ、さすがに悪いよ。

で、カメラ板でなく、写真板のほうが、よくないか?

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013 2012/09/05(水) 23:22:58 ID:eLaWfEkglI
批評者には反論に対抗できるような備えが要る。
作品の表現意図も読み取れないような浅はかな人間に
何が批評できると言うのだろうか?

岡本太郎は表現意図をある程度は踏まえて構図を批判していた。
社会的現実についてはどの程度だろうか?

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014 2012/09/06(木) 01:43:37 ID:C8eVyBgXy2
横尾忠則は、
新幹線、おっぱい、飛行機墜落、
だけ描いていればよろしい。

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015 2012/09/06(木) 08:33:10 ID:mkZRzKJrHU
>>9
やばいくらい美しいカメラだな。

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016 2012/09/06(木) 09:01:05 ID:IFr2ywIAEM
濱谷師が説いているように、
撮影者には表現の意図が伝わるように合目的の努力が要る。
例えば、商業写真家なども目的を念頭に置いて周到に準備実行するはず。

観賞者の琴線に触れ社会的実践につながることを目指す。それがリアリズムだ。

濱谷師はある高名な総合誌にアワラの田植えの写真を持ち込んだが、
「面白くない」と退けられ、対して抗議の言論を展開した。

「こんな山の中で、無抵抗で、黙々と働いている農民に代って、発言したかった。
ジャーナリズムの良識は、こうした面に場を提供して欲しい。
 私はめったに写真を売り込むことをしないが、この写真は是非使ってもらいたかった。
 (中略)
写真はいくらすぐれたものを作っても、結局は、発表されなければ、意味がない。
できるだけ、多くの人の目に触れることが望ましい」

(出典:写真家からジャーナリズムへの抗議
〜「カメラハンドブック」誌1955年10月臨時増刊「今日と写真」)

編集者は反省して師の連載ページを設けた。
濱谷師は風景も撮ったがその真意は風土(人々の暮らし)を撮るということだ。

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017 2012/09/14(金) 03:03:15 ID:0ZJarHicGc
>>16
温泉で祈る人々。
自然の恵み、温もりに感謝し清廉潔白な生き方を誓う。
その敬虔さが胸を打つ。

このような儀式を指導した古人(おそらくは僧侶か神職)が居たのだろう。

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018 2012/09/26(水) 03:45:36 ID:V5loNAACFM
(アルス刊「写真の教室」1952年7月号より)
「月例写真応募者のために — 第一回審査選後所感 浜谷浩」より

写真雑誌が口絵で、プロ写真家の作品に多くのページをさいたのは
戦後の一つの特徴であった。
それはそれで写真思潮の面でも技術の面でも日本の写真界のために
大きな役割を果してきた。
リアリズムの追究も、シンクロ技術の進歩も、常にプロ写真家が
その先頭に立ってきたのである。
だが私の考え方では、プロ写真家の仕事は写真雑誌より、より広い
社会の場に働きかけることが重要であり、写真雑誌はアマチュア
諸君の作品が開花する場所であってほしい。

・・・(審査員が)私の場合(言えることは)、
応募者諸君が審査員の写真の傾向に盲目的に迎合しないで、
白紙の立場で写真を作り、応募してもらえるだろうという
ことである。
自由に諸君の道を選び諸君の今日の成果を見せていただきたい。

審査員の作品や主張に自信を持って傾倒することは勿論悪いことでない。
信念無く思惑や好みに同調することが危険なのである。
避けなければならない。
幸い私は諸君と立場を異にした写真を数少なく発表しているにすぎない。
諸君は楽々と白紙になって、この諸君の道場である月例に参じていただきたい。

・・・第一回の集まった写真の傾向は、9割までがスナップ写真であった。
編集部では「明るく楽しい月例写真」ということで社告したのだが、
その反対のものが多かったことも面白い事実である。

スナップ写真が多いこと、暗く悲しい写真が多いこと、
今日の写真界の大勢であろうし、また日本の社会現象の一つの縮図でもあろう。
だからそういうモチーフに取組む必然性は十分にあるわけである。

創作活動に最も有難いことは「自由」ということだと思う。
殊にもアマチュア諸君は自由の持ち主であるわけである。
酷しい日常生活の中で写真の自由に価値を求めるべきであろう。
自由を得た場合に写真のモチーフはその間口を拡げてくれるのである。

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019 2012/10/02(火) 06:56:26 ID:YUMLG2v6Xc
福武書店刊「PHOTO JAPON」№015(1985-1) 見てきた日本(壱) (連載第一回)

(1933年オリエンタル写真工業に入社、18歳)
その頃、渡辺義雄先生がオリエンタルにおりまして、写真技師から宣伝部に移りまして、
当時、社で発行しておりました「フォトタイムス」誌上で大活躍されておりました。
先生は新しい写真の傾向を探求しておりまして、近代写真の開拓者として、
私には眩しい憧れの存在でした。いわせて頂けば私にとりまして唯一人の先輩であります。
銀座、浅草、レビュー、軽井沢などまことに新鮮な写真を次々に発表されました。

「フォトタイムス」編集長が木村専という人で、日本の近代写真を進めた功績は大きいです。
この辺の事情を今のうちに掘り起こしておくといいんですがね。あんたさん、頼みますよ。

渡辺先生が退社されてフリーとして独立され、木村伊兵衛さんは
オリエンタル(銀座)の向かいのビルに中央工房を構え、名取さんの日本工房、
営業写真館とは別の職業写真家が自然発生しまして、行き先不明の新しい道を歩きだしました。

“アラ尖端的ネ”という唄がはやった頃でしたかな。モガ・モボ時代、街は躍動しておりましたな。

オリエンタルは前(の会社、夜逃げしてしまった)とは違って一流会社ですから
マジメに月給くれまして、盆暮れ賞与を頂きまして、おかげをもちまして
1935年、私め20歳のみぎり、待望のライカC型を買いました。
その感触、機能美、ジーンとくるものがありまして、血沸き肉躍る感じがしました。
さあ撮るぞっ、といった感じがしました。

出勤前の銀座、昼休みの銀座、夜の銀座、雨の日も雪の夜も、クリスマスに大晦日、
正月松の内から芸者衆撮ったり、春夏秋冬年ガラ年中、撮り歩きましたなあ。はい。

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020 2012/10/03(水) 12:53:10 ID:IJOH2FSR5k
なんか色々な「ことば」があふれかえってるけど
その昔小さな画廊を借りた会場で学生?素人?の写真コンテスト?の公開選考会みたいなのがあって通りかかった
そういう場に初めて遭遇したのだが
まず出品者が名前を名乗って「作品はコレです」と
そこまではいいのだがそれで審査員の筆頭だかの人物に「それでこの作品の意図・主張は何かね?」と
ハア?そんなもの『俺の画を見てくれ!そして感じてくれ!』で終わりダロなんて思ってたら
どの参加者も流暢に喋りやがるwそれに対して審査陣もあれこれ論議や詰問したりして
まさに>>2以降の世界
なんじゃこれ?「語れない」と写真家として「完成」しないのかと非常にガッカリした覚えがある
画に力が無いから「言葉」が欲しくなるのか
画をみて感じた事に不安だから「言葉」の背骨がほしいのか
最低限のキャプションや>>1程度の背景説明が限界だと思う
そもそもシャッタースピードや使用レンズ・カメラボディーの情報とか必要なのか?

なんじゃらほい

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021 2012/10/03(水) 17:23:53 ID:4UKOyPZmvE
画像だけで総てを語れるわけじゃないというのが真実です。
文章との組み合わせは効果を挙げます。

それとは別に、良い批評の意義も大きい。
批評は優しい温かいのがいいけれどその中身が大切です。
無内容な気安めのリップサービスなんか要らない。

作者の狙いと努力がどれくらい伝わっているかをフィードバックしてやる批評者が要る。
(ただヨイショするだけだと未熟者はえてして天狗になってしまう。
自分の狙いが全て伝わったという勘違いをしてしまうんです)
平凡な一般人と見なせる人が自分の真意を汲み取って返してくれた時、表現は成就する。

そして観賞眼は学習によって成長していくものです。
ちょうどプラトンが書き遺したソクラテスの対話(中身のある言葉)を読んで、
浅はかな思い込みが打ち砕かれるように。

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022 2012/10/16(火) 00:09:08 ID:q2Q7iZGlUE
濱谷師のスタンスの潔さが耀いている。
後進の人々のアマチュアらしい自由なあり方を尊重し、
自らを権威付けせず相対的なものと位置付けていた。
地位やカネにたいして恬淡だった。

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023 2012/10/30(火) 02:36:07 ID:KVouvgDW7o
>>20
「キャプションの重要性」飯沢耕太郎氏 2008

報道写真は、キャプション(解説)というテキストがないと成立しないと思う。
写真だけでは、「いつ」「どこで」「誰によって」「何が起きたか」を特定することは難しい。
それらをきちんと特定するには言葉の力が必要になってくる。
だから報道写真にはテキストは必要不可欠だけど、

テキストの力が強くなりすぎると見る者をがんじがらめにしてしまうこともある。
また、テキストが変わると、写真が全く別の意味になってしまうことだってあるんだ。
テキストは両刃の剣。その力をうまく利用することが必要になってくる。
写真と言葉の力が一体化して、見る人に正しく伝わることが報道写真の基本的な形なんだ。

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024 2012/11/08(木) 11:41:12 ID:tMEROgkE0c
写真から何かを感じ取れる人は
それなりの経験(体験)を積んだ人でしょうね

写真を見て過去の記憶から引っ張り出されるものがあるから感じることができるんでしょう。

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025 2012/11/08(木) 11:56:16 ID:QEJtp2DpC2
>>24
同様の事が音楽についてもありますねえ。
曲想をつかめるためは、生まれてから現在までの
音楽的体験が土台になっていると思います。

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026 2012/11/11(日) 20:14:25 ID:oxqRrzkHI6
つか最近自由は奪われつつあるよね
こないだもパンチラ撮ってたら通報されたよ

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027 2012/11/12(月) 09:12:46 ID:yXoYNW1ZXU
>>26
芸術や表現とは無縁の キミの「異常な性的欲求」が嫌われたのでしょう(笑)

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028 2013/03/01(金) 04:09:15 ID:N.aqEcAP46
思い出したよ あの子のことを
何処で如何して 居るのやら

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029 2013/06/19(水) 03:48:10 ID:HvP8XulrIk
[YouTubeで再生]
灰田勝彦:ボクはアマチュア・カメラマン

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