濱谷 浩 1915-1999


▼ページ最下部
001 2012/08/18(土) 13:07:48 ID:RjuapDb8.A
24歳の時(1939)、和辻哲郎「風土—人間的考察」を読み感銘を受ける。
この年、新潟県高田市(現在の上越市)を訪問している。
翌年から本格的に雪国の習俗を記録し始めた。
これが戦後まで続くライフワークとなった。

1941年、東方社に参加し、戦時対外プロパガンダ写真誌「FRONT」に
従事するも疑問を持ち退社。

戦後1954年から3ヵ年にわたり、日本海側の常民の生活と風土を撮った。
「裏日本」という連作である。
1955年6月、富山県にてアワラ(湧き水のある田)の田植えを取材。
発表した写真は話題となり、
富山県議会での土地改良への補助金支給決定につながった。

(ことば)
「ワラ屑をからだに捲きつけ、ボロをまとって、泥沼に胸まで没して
植えつけていた。男は寒気に堪えず、主として女の仕事になっている。
そこには歴史の進行も、文化の蓄積もない、あるのは、過酷な労働に
耐えて、田植えをつづける女の顔だった」(「裏日本」新潮社 1957)

返信する

※省略されてます すべて表示...
025 2012/11/08(木) 11:56:16 ID:QEJtp2DpC2
>>24
同様の事が音楽についてもありますねえ。
曲想をつかめるためは、生まれてから現在までの
音楽的体験が土台になっていると思います。

返信する

026 2012/11/11(日) 20:14:25 ID:oxqRrzkHI6
つか最近自由は奪われつつあるよね
こないだもパンチラ撮ってたら通報されたよ

返信する

027 2012/11/12(月) 09:12:46 ID:yXoYNW1ZXU
>>26
芸術や表現とは無縁の キミの「異常な性的欲求」が嫌われたのでしょう(笑)

返信する

028 2013/03/01(金) 04:09:15 ID:N.aqEcAP46
思い出したよ あの子のことを
何処で如何して 居るのやら

返信する

029 2013/06/19(水) 03:48:10 ID:HvP8XulrIk
[YouTubeで再生]
灰田勝彦:ボクはアマチュア・カメラマン

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:27 KB 有効レス数:29 削除レス数:0





カメラ掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

スレッドタイトル:濱谷 浩

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)